人と話し、人に話される
言語聴覚士を目指して
熊本保健科学大学卒
Speech TherapistR. N.
祖母が患った失語症、それがSTを知るきっかけ
医療現場で働くことになるとは、昔の自分を考えると今でも信じられません。幼いころからパソコンや機械で黙々と作業をすることが好きで、人と人との触れ合いがとても重要である医療と私とは無縁だろうとずっと思っていました。
そんな私が言語聴覚士(以下ST)という仕事に出会ったのは、祖母の事故がきっかけでした。ある日、田舎の農家である祖母が、転落事故で頭部を損傷するという事件がありました。意識不明の重体な状態が数週間続き、その後奇跡的に目覚めた祖母は、以前とは変わってしまっていました。私たち家族のこともあまり覚えておらず、言葉も思うように出ない。当時高次脳機能障害という単語も知らなかった私はただ戸惑うばかりでしたが、懸命にリハビリを行い、言葉を徐々に取り戻していく祖母の姿を見て、失語症、そしてSTという存在を知りました。
その後祖母は無事退院しましたが、高校生であった私はそろそろ進路を決めなければならない時期が近づいていました。家族に相談したとき、看護学科に通う大学生の姉が 「うちの大学にST学科が新しくできるよ」と声をかけてくれました。ST学科のある大学は、全国でもあまり数はありません。あの時みたSTの仕事を思い出すと、このチャンスは運命だと感じ、STを目指す決心をしました。
大学に入って勉強をする中で、STがリハビリを行う対象は失語症だけでなく、他の高次脳機能障害・嚥下障害・音声障害・小児の発達等多岐にわたることを知りましたが、どれも勉強していて楽しく、奥が深いものでした。あの時STを目指すという決断は間違っていなかったと今でも思っています。
motivativeな内装、そして先輩STの情熱が湾岸リハへの決め手だった
当院、東京湾岸リハビリテーション病院を就職先に選んだ理由のほとんどは直感だったと思います。
遠方の熊本からの就職活動だったので、関東の病院の情報もあまり分からず、大学の授業の合間に行くことができる病院見学の機会も限られていました。当時進路を相談していた大学の先生からは、「最後は直感を大切にしなさい」と言われていました。当時の私は人生を左右する決断を直感で行っていいのかと思っていましたが、実際に見学会で数か所の病院を訪れ、最後の見学場所であった湾岸リハへ足を踏み入れた時に「直感」が走りました。唯一自分がSTとして働くイメージが出来たのが湾岸リハだったのです。
見学会でまずエントランスを入ると、広く天井の高いロビー、そして大きな噴水が私を出迎えてくれました。よく「ホテルみたい」と患者さんからもお言葉を頂くロビーの噴水ですが、そこを横切り、セラピストと笑顔でリハセンターへ向かっていく患者さんの姿を見て、こんな素敵な、つまり長期間入院する患者さんのモチベーションとなる装置が考えられて配置されている環境で臨床が行えたら、と学生ながらに感じました。
見学会が進むにつれ直感は確信へと変化していきます。最良の医療へ挑戦し続ける、日本一を目指す、という湾岸リハ特有の姿勢は、言葉だけでなくスライドの中でも具体的な事例と目標を挙げて説明されました。見学会でこんな説明が聞ける病院は生まれて初めてでしたし、今でもそうだと思います。そして後半には実際に湾岸リハで働くSTの先輩とお話させて頂き、臨床への深い情熱とそれを裏打ちする知識と技術を実感するうちに、湾岸リハで働きたいと思う気持ちは高まっていきました。
馴染みのない土地で、不安ばかりの就職活動でしたが、あの時の直感を信じてよかったと思います。
どの職種にもすぐに相談できること。それが湾岸リハの強み
実際に働き始めてみて感じますが、当院の働きやすさは、なんといっても職種間の垣根がないことだと思います。PT・OT・STといったセラピスト間はもちろんですが、リハ医の先生や看護師の皆さん、MSWの方々、またその他の病院を支えている職種の方との連携の取りやすさは、本当に強みだと思います。新人1年目であった私の意見や質問にも真摯に受け答えしてもらえる(こんなにドクターと話すことになるなんて思いもよりませんでした!)ため、より有意義な臨床を行うことができ、またその分成長も早かったと思います。
よく目標として語られるチーム医療ですが、リハビリテーション医学を実践する上ではそれは前提だと思っています。これからもSTとして、他職種から日々多くを学び、またその分私も皆さんにフィードバックしていきたいと思っています。
また、STの人数が多く、充実していることも当院ならではないかと思います。先輩STの数も多く、それぞれの先輩の臨床の色を感じ、いいとこ取りをしながら勉強することができています。そしてSTの人口はまだまだ増加途中のため、同期に恵まれることはないと思っていましたが、現在4人の同期と一緒に働くことができており、とてもとても心強いです。臨床で悩んでいること、つらいことも共有しながら、切磋琢磨しています。
実は就職して最初の一年はホームシックでした。寂しかったですが、帰省したら反動が大きそうだったので、一度しか地元には帰りませんでした。そんな私を見かねて、地元の両親や友人が頻繁に会いに来てくれて、また都内に住んでいる姉は毎月顔を出してくれました。本当に心強かったです。現在は同期や東京でできた友人と遊ぶことも増え、充実したプライベートになってきました。スタッフの出身が日本全国様々なので、私のように地方出身者でも馴染みやすいのも当院の魅力の一つかな、と思っています。
人と話し、人に話されるSTを目指して
私は「この人とコミュニケーションを取りたい」と思ってもらえるようなSTになりたいと思っています。専門的な知識や技術も大切ですが、やはりコミュニケーションを取りたいと患者さんに思っていただけることはSTとして、人として、本当に大切なことだと考えています。
また、コミュニケーションに悩む患者さんの一番の理解者ではなく、最初の理解者になることが出来ればと思います。一番はやはりご家族の皆様になっていただき、そのためのサポートができるような、最初の理解者となることがSTの役目ではないかと臨床を行う上で感じています。
まだまだ、セラピストとしてはひよっこな私ですが、これからも患者さん、ご家族の方に寄り添うことの出来るSTになるために湾岸リハで励んでいきます。これからSTになる方、STになるか悩んでいる方、どちらの皆さんも一緒に働くことが出来たらとても嬉しいです。沢山の人達と楽しくコミュニケーションを取って頂き、そして是非その時間を大切にして下さい。
R. N.
熊本保健科学大学卒
ST科配属
いつも明るく笑顔の絶えないNさん。患者さんとの信頼関係を築くのはST科でも随一の腕前で、持ち前の笑顔で患者さんのみならずスタッフをも癒してくれております。しかし一方では芯の強いところもあり、患者さん、ご家族のためには九州仕込みの根性を見せることも…!とっても頼りになるスタッフです。